BR4 「野心のすすめ」

ブックレビュー 林真理子さん 「野心のすすめ」

印象に残った部分を引用、自分の意見を加筆して、残していきます。何らかの参考になれば幸いです。林真理子さんは、アンアンのエッセイをたまに読んでいたくらいでしっかり単行本を読んだことはありませんでした。こうやってブックレビューにまとめることで、自分自身も名著が血肉になるようで楽しい作業ですね。

野心が足りない

近頃野心が足りない人が多い。二流、三流に甘んじ、周りと同じことを好み、秀でることを恐れる。手の届きそうな目標を掲げ、自分の中にある強い欲求に蓋をする。居心地の良いぬるま湯に浸れる努力だけをする。

一流の場所?縁がないから行かない。そういった場所や圧倒的に上な人たちの会合に行くと、「自分なんてまだまだだ」と強く自覚し、野心を持ちやすい。バブル世代の方はそういった一流の経験が豊富、私はギリギリ、数個上のバブル世代先輩たちと交流させて頂ける時期に社会人に。草食系の時代への過渡期に青春(20代前半)を送った。若くして起業、成長した成金の社長さんとの合コンなど呼んでもらったり、将来起業する先輩方と飲めたのはあの頃、バブル世代の先輩方が誘ってくださったからだ。いい経験を積ませてもらった。

林真理子さんは山梨の書店生まれで、コンプレックスがある中、野心、欲を人一倍持っていたようだ。”想像力よりもさらに身勝手で、自由な力=妄想力”を駆使することで、野心のばねにもなるそうだ。恐れないで、一歩踏み出して自分の中にある野心を育ててみてはどうか。

「若いうちの惨めな思いは、買ってでも味わいなさい。」「やってしまった後悔よりもやらなかった後悔の方が大きい。」そう著者は言う。

事なかれ主義の若い人が消えてしまう理由「野心と努力のバランス」

「今のままじゃだめだ。もっと成功したい。」と願う野心は、自分が成長してくための原動力になる。一方、その野心に見合った努力が必要になる。野心が車の「前輪」だとすると、努力は「後輪」。前輪と後輪どちらかだけでは車は進んで行けない。「野心」と「努力」両方のバランスが取れている時こそ、「健全な野心」と言える。

後輪は見えにくいけど、前輪の野心は良く見えてしまう。「野心家」と後ろ指をさされるときは、前輪ばかり回り見苦しい。一方、努力をひた隠しに積む人もいる。それはそれで野心が見えないため、「あ、いい子だね。」で終わり、市場から消えてしまう。

とはいえ、「特に今欲はないんだけど?」という方。「欲のない自分」が野心を持つには、「自分の将来を具体的に思い描く想像力(妄想力)が大事」。妄想することで野心は育てることができる。

自分に投資すると、「人気、運がついてくる」

せこい人にはせこい人生が待っている。先の見えない世の中だが、自分に投資して、「会話の面白さ」に反映させる。そうすると人気がついてくる。運と努力の関係は面白いもの。自分でちゃんと努力して、野心と努力が上手に回ってくると、「運」という大きな輪がガラガラ回り始める。一度、野心と努力のコツを掴むと、生き方も人生もガラっと変わってくる。

人生には、「ここが頑張り時だ」という時がある。「あ、今自分は神様に試されているな」と思おう。怠けそうなとき。ちゃんと努力をし続けていたか、いい加減にやっていないか、神様はちゃんと見ていて、「よし、合格!」となったら、その人間を不思議な力で後押ししてくれる。そんな時が来るはず。目指していた道で失敗してもいい。挫折してもいい。「新規まき直し」をすればいい。今の自分は、まずいなぁ、と思うならば、人生リセットして、「自分を信じて馬力を出すことで更に自信がつく。」

そして、自分を信じられないときは、「小さな成功体験」を自分で認めよう。もちろん人から褒められた些細なことも。

反感

人に否定されたら、悔しい気持ちをパワーに変えていこう。「今に見てろよ」と思う、打たれ強さを意識的にもとう。悔しい気持ちは、買ってでもしろ、ではないか。「ありがとう、あの時屈辱的な思いをさせてもらって」と感謝できたら、よりいいではないか。出過ぎた杭は打たれることもあるが、発奮材料にして成長すればいい。前へ進むことは楽しい。

野心と女の一生

やはり、どうしたって女性は仕事をもって、働くべきだと思っている。専業主婦のリスクということではなく、人生の充実感や幸福のために。自分の仕事が積み重なって、ある日何かの結果が出るという楽しさは、恋とか愛ともまた違う。もと人間的な深いところに根差している。どんな仕事だっていい。自分の名前で評価されれば、たとえ低い評価でも、「自分の努力不足だ」と納得できる。子育てを理由に踏ん張り時に逃げないで、意地でも頑張って働き続けよう。世の中は理不尽なことで溢れていて、自分の思い通りになることなんてほとんどない。だけど人間は努力をしなければならない。それを社会で学ぼう。子育てで成長しようなんて、自分に甘いのではないか。お金があれば自分を甘やかすこともできる。”手に職”をもっているひとはやはり強い。

だからやはり、早いうちから、”何者か”になろう、という野心を持ち、努力を重ねる。そうすると、二十代で頑張った結果は三十代の人生に反映されるし、三十代に努力したことは四十代の充実感にそのまま比例します。四十代になってから、他人を羨ましがるばかりの人生は間違っている。私の例でいえば、それを見据えて三十三で起業をした。妻でも母でもない、何者か、である四十代を目指したかったのだ。そして自分との挑戦と向き合い、おそらく人を羨むことはない状態に、今入りつつあるような気がする。

「止まっている不幸」の恐ろしさ

「業が深い人は幸せになれない」というのは、一部当たっているようにも思える。業と欲が深いと、仕事に恋に、しょっちゅう悩んでは泣いたり悶えくるしなり、歯ぎしりしたりしなければならない。

成功したい、モテたい、と、欲望を叶えるために必死でもがき続けていることを不幸と呼べば、確かに不幸かもしれない。高い成果を目指せばそれだけ挫折や落胆の機会も増えるのから。しかし、そんな「走っている不幸」は、本人には辛くても、周りからは爽快感がある。きっとどうにかなうよ、と励ましたくなる。

本当に恐ろしいのは、「止まっている不幸」。望んでいた仕事に就けず、無力感のまま働く若い人が、資格を取るとか転職しようとかいう努力を何もせず、「こんなはずじゃなかった」と社会を恨むことしかしない。これほど惨めなことはありません。実際運が悪い人は、「見切りが悪い人」でもある。今が楽しくないなら、「新規まき直し」をして生き方を変えて強運を引き寄せようじゃないか。

野心を積み重ねると、コントロールできるようになる

年齢を重ねるにつれて、自分の野心の飼いならし方もわかってきて、周りが気にならなくなり、ひたすら自分の内と向き合っていくようになる。そして、「もっと良い仕事がしたい」とシンプルになり、野心が研ぎ澄まされていく。若いうちから、これからでも野心をもって訓練していけば、そのつらさにも耐えられるようになる。頑張っている人だけが抱くことのできる、「健全な嫉妬心」は全く悪いことではなく、宝物で、自分が努力してきたことへのご褒美なんだ。

野心をもって

野心を持って努力をし続けるのは、本を読むことにも似ている。自分はどれほど無知なんだろう、とか。この分野を知らないのはまずいな、とか。色々なページが開かれていく。自分が、「こういう人生を送りたい」という目標を決めたら、歯を食いしばってでも頑張ってみる。

野心が山登りだとすると、頂上がどんなに遠いかが分かる。少しくらっとするような場所までくると、登山口には汗もかかないでキャッキャッ言っている人たちが群れていて、一瞬戸惑う。でもそこを乗り越えた頂上には、平地で遊んでいる人間には一生見えない美しい景色、幸福がある。

人の一生は短い。野心という山を登ろうとする心を持ってみてはどうだろう?

ブックレビュー4

この記事を読んで、あなたの野心にじわじわと火が付いたなら、嬉しいな!健全な野心をもって、努力を積み重ねよう。そうしたらきっと今見えない景色が見えるはず・・。