なぜ、今、起業しているのか(キャリア変遷・起業の経緯)

こんにちは。女性の在りたい姿を支援する、エバーガールの有紀子です。

今日は、私が今、なぜ、起業しているのかについて職歴と共に振り返りを書きます。

どんな想いで今、個人事業主として生きているのか、理解して頂けたら嬉しいです。

 

新卒時代

 

私は、新卒の際には日本の大企業に就職しました。金融で、就職氷河期に入りかけていたとき。正社員で総合職候補で採用して頂き、ラッキーでした。
自由闊達な社風ではありましたが、男性社会であること、新卒採用が少なく、中途採用のキャリア組の方が活躍さていること、現場での経験が少ないことからやりがいを感じにくい、そんなことに閉塞感や行き詰まりを感じ、5年目に退職しました。
英語が好きだったんですがね、なかなか「好きを仕事に」することは難しいものだな、と思いました。
何度か投げ出したくなりましたが、5年いることができました。
お給料もよく、社会人として育てて頂いたこと、可愛がっていただいたこと、感謝しています。

 

一度目の転職

 

そして、次は「健康・食・運動」など自分が興味のある分野で女性が活躍できそうな企業を探して転職しました。
転職先は、当時15店舗から全国2,000店舗を目指す女性専用フィットネスカーブス。
カーブスジャパン及びその親会社は、独立も応援するし、ベンチャー気風の在る会社でしたので、修行として店舗のスーパーバイザー業務、チェーンを作る仕事をし、やりがいを感じていました。

3年後の30歳で漠然と独立することを決めました。
(「勝間塾では5年後に著者になる」、「七つの習慣」という考え方が浸透していますが、当時勤めていた会社も同じように、「将来の独立」「そのための主体的な仕事の仕方・価値観」、「七つの習慣」が研修で採用され、浸透していたのです。本当に多くのことをそこで学びました。)

・若いうちに出張や目標数値を追う現場の仕事を多く積むことができたこと
・女性にしかできない、「女性を支援する仕事」のやり甲斐や希少性・強みに気付くことができたこと
・人に喜んでいただけるサービス業の面白さに気付いた事
・自分で自分の時間と仕事を作ること、効率的に行うこと
・理解してから理解されるということ
・集合天才、仕事は作るもの ということを覚えたこと

などの経験を得ました。一方、仕事が面白すぎて家に持ち帰ることも多々。のめりこんで、うつ病を患うことにもなりました。そういった経験もあり、残業代という概念もない職種でしたので、効率と成果については常に意識するようになりました。

そして、将来は結婚・出産するであろうと考え、ライフワークバランスを取るために、この経験を生かして、独立したいと考えたのです。

 

30歳で独立したい


「30才で独立する」と決めたときは、ご縁で、銀座の託児所併設のお教室の運営マネージャーを任せて頂きました。そこでは銀座という好立地の家賃回収をすることが大変困難で、委託を受けたオーナーの期待に応える成果は出せませんでした。独立したものの、それまで組織に頼ってお給料をもらっていた自分です。ゼロから企画・運営など一人でやることの大変さを改めて知ります。

妊娠したのもあり、人の力を借りたり、ネットワークを広げることも思うようにいきませんでした。

その際の学びから、
「起業は、スーパーバイジング業務だけでは足りない。強みの掛け算として、まずは自らが手に職を持ってから」と決意しました。

 

子供が2人欲しかったので、1人産んでからは、まずは、いろいろなお教室に通い、アロマコーディネーターの資格を取ってみたり、プリザーブドフラワーを習ってみたり、児童英語教師資格を取ってみたり、サロネーゼへの道を模索します。
子供が1歳になってからは、保育園に子供を預けて、社会復帰したいがために、腰掛のようなバイトをしました。そこで、時給で雇われる身の肩身の狭さ、裁量のなさ、役割の少なさ、時間的限界を思い知ります。人に頭を下げて、「子供がいるけど雇っていただけて光栄です。」という気持ちにどうしてもなれませんでした。

 

やはり、起業するしかない

 

と決意を新たにしたのです。

そして2人目を出産して、何をしようか、と思っているときに「手に職をつけることはまず必須」と、3ヶ月後に、ネイルスクールに通いだします。
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なぜネイリストを選んだのかというと、「子供が小さいうちは家で開業することができ、子供が大きくなったら店舗を構えるというステップを踏むことができる。」という理由からです。
さらにその年は、3.11 東日本大震災が起きた年の翌年でした。
帰宅難民、計画停電。放射能問題。余震の問題。ますます、「子供が自分で家に帰ってこれないほど小さいうちは、直ぐに駆けつけられる場所で働きたい。」と決意したのです。

さらに、なぜ産後半年で始めなければならなかったか、というと、

・そのタイミングでないと保育園に入れないと思った
・40歳で店舗を持ち、人を雇う際に、自分がそれなりのネイリストとしてのキャリアを積んでいないといけないと思った

からなのです。始めたばかりのオーナーに雇われるよりも、その方がお客様もスタッフもやりやすいだろうしうまくいくだろう、と考えたのです。
今度は、40歳になったら、人を雇って店舗を構えることを目標にしています。

今は収入は企業勤めの時よりも多いとは言えませんが、家族を交えた主体的な選択をとれいているかな、と思っています。
開業後3年後に隙間時間、非繁忙期の副収入の道として「スワロフスキーアクセサリーの認定講師資格」を取り、2年で売上200万、(開業費も半分くらいですが)、そして4年たった今、開業支援やブログ塾などのコンサル業務も始めています。

ネイルサロンも、アクセサリーも、コンサルタントも、世の中にはたくさんありますし、いらっしゃいます。

 

私にしかできないサービスを提供したい。
私のとこだから、と来てくださるお客様を大切にしたい。

 

そんな風に常に考えています。キャリアはまだまだ途中です。

これからも頑張ります(*^-^*)
一緒に頑張るお仲間、募集中です♪

 

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